index < 日誌 < u列島< 「生理」p15/ |
日本人は、自分の不幸とか感情というものを、自分だけに終い込もうとする。周りの人間というのが空間的に近すぎるのである。だから周りに気をつかう。気を使わなければならないのである。そしてまた、そうした感情というのを、しまい込むことの出来る民族である。だからまた反面、底無しであり、自殺、心中、集団自殺(玉砕、万歳突撃)として現れることもある。そしてそれは、日本に住む誰にとっても他人事ではないのである。 それは、終わりを意味するのであるが、その前に、誰かがそれを察してやらねばならず、支えて守ってやらねばならず、そうしないことには社会が崩壊してしまうのである。だから、感情を自分だけでしまい込むというのは、周りの者の思いやりと支えがあってこそなのである。 だれも表立っては言わないけれども、こうしたことがまた、暗黙の了解事項、イヤ、もっと正確に言うと、持って生れた無意識の本能的な衝動になっているのである。この世に生まれる前から、もともとそのように出来ているのである。自分自身のなかで情緒とか気質として保存され続けてきたものなのである。あるいは、自分自身の肉体の生理作用や、反復継続される感覚の定形化・最適化として、パターン化(型式化)されてきたものなのである。 |