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画一化され、均一化し、同質化される生活と意識の共通性。そしてそのキズナ(絆)の連帯性・同一性といったもの。そして観念化される共有意識の全体性・一体性といったもの。このような社会の中では、絶対にまわりに逆らえない。 それは個人の肉体的な死を意味する。まったくその通りなのであって、それは、このような社会の中で生きる者にしか、理解の出来ないものなのである。この中で生きて来た者でないと、わからない世界なのである。 でもそれは、やはり、生きた現実なのであって、それがまた、現実というものなのである。それが日本社会の空気であり、水であり、もの言わぬ秩序であり、オキテなのである。それは何かの気配であり、自分自身の呼吸や、血の流れや、何かが触れる肌の感触なのである。意識以前の、生きている肉体の生理なのである。 心臓の鼓動や、呼吸する息のつぶやきやタメ息の音色なのである。あるいは叫びや戸惑いの戦慄なのかも知れない。そうしたことが、自分自身の中から聞こえてもくるし、何かの衝撃として見えてもくるのである。 社会という集団の中で、個人が溶けて消えているのであって、それが気配や空気として個を支配し、圧迫し、押しつぶして行くのである。そうやって、社会というのが成り立っているのである。そうやって、社会が維持され、保存され、そして継続して行くのである。何も変わらず、変わってもならず、変化のない、いわば、死んだ世界である。 |
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