index < 日誌 < u列島< 「めざめ」p11/ |
日本列島の梅雨期は息苦しく、わずらわしく、うっとうしい。気分的にもじめじめしていてやりきれなくなる。それはもはや、気候とか天気という自然現象というよりも、むしろ心理的で生理的な現象である。それは、そこで生きる者にとっての暮らしの感じ方であって、そして生きている人間の情緒のあり方なのである。 気温は特に高いということはなく、むしろ、ちょうどよいくらいなのに、気分は憂鬱になって来る。どこにいても、なにをしていてもジメジメ、ジトジトしていて、うっとうしくなってくるのである。これは心的状況、情緒といったもので、それが人間の感覚や感じ方、そして考え方や行動を支配し、制約してくるのである。 それは、感覚の自然現象といったものではなくて、感覚の感じ方であって、神経や生理作用のメカニズム、そしてそのリズムであって、その型式(パターン)といったものである。有史以前から子々孫々、ずっとそうであり続けたのである。これが風土であって、自然条件そのものなのである。 日本列島特有の夏の蒸し暑さの、このいたたまれないわずらわしさや、冬の底冷えの中で閉じこもって身がまえるといった風勢もまた、日本列島特有の情緒のあり方、心のあり様なのである。風土や自然環境の制約といったものが、人間の心と身体に反映されて、そして、これが文化の型式(パターン)としてカタチを変えて現れているのである。 それは自然の中から、条件づけられ押し出されてきた民族の、情緒的特性、指向性なのである。それは情緒の前提でもあって、そしてまた、情緒が目指す先天的な必然性なのである。あるいは「傾向」といったものである。 |