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3、場面。



「めざめる」とは、このことである。自分のなかで新たな自分を、見知らぬ、いままで知ることのなかった異質な自分を見ているのである。だからまた、自分とまわりとの関係も全く違ったものになってくる。これが再生と復活なのである。

自分にとって、自分というものの意味が変わってくる。自分が別人のようにも、他人のようにも思えてくる。自分の感じ方、考え方、そしてまた、生き方や行動のパターンといったものまでが以前とは別のものになっている。自分というのが、いつの間にか変わってしまったのである。そしてまた、そうしたことが自分というのを強く意識させる場面とも、キッカケともなっているのである。

このような「めざめ」、あるいは再生や復活といったもの。そうした無限のくり返しと再現が、自分で自分を意識し、自分を知る場面となっている。そうした無限のくり返しが「時間」であり、「歴史」ではないだろうか。
                               
こうした意味での「時間」は、日本列島においては、移りゆく自然の鮮やかな四季の変化としてとらえられる。それはもっとも著しくあらわにくり返される、変化の場面なのである。自分を意識し、確かめる場面といったものが、自然との関係に鮮やかに見られるのである。


戻る。            続く。

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