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見えるものは光が運んでくる。見えているのは、そのもの自体を見ているのではない。それが映し出す反射した光を見ているのである。 だから見えるものは、様々に変化もするし、見かたによっても、いろんな別のもののように見えたりもする。だからそれは、観念の世界で幻覚を見ているのでもなくて、またそれがもの自体のすべてでもないし、ものの本当の姿であるとも言えないのである。 そもそも見えているのは、無限に変化する様々な表情の、ほんの一部でしかないのである。ただ人間には、それしか見えないのである。それで十分であるし、それ以上見える必要も、見る必要もないのである。人間は自分が見たいと思うものだけを見ようとし、また、それ以外は見えないのである。見えていても見えないし、見えることもないし、見ようともしないのである。 人間が見ている世界とは、光の質を見ているに過ぎないのであって、明暗と色彩がそれである。そして、これを通して知る以外にないのである。だから、確かめなければならない。 様々な角度と視点から見る必要もあるし、肌の感触や気配、あるいは、ニオイを伴うこともある。また、カゲを見るとか、他の物体との関係から見えてくることもある。ものの様々な側面が見えてくるし、普段、見えなかったものが見えてきたりもする。 |