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2、流浪民。



誰もが見知らぬヨソ者であって、自由に生きて行くしかない。流浪する移民の世界にあって、すでにある生存のシステムに依存することが出来なかったのである。既存のシステムは、既存の住民のものであり、それに頼ったりすることができないのである。既存のシステムから追放されたから、流浪の民となったのである。

これら流浪する移民は、既存のシステムからはじき出され、追い出されて来た人々なのである。既存のシステムでは生きて行けず、そこから出て来た人々なのである。だからまた、自分で生存のシステムを作る以外になかったのである。あるいは、移住地で先住民からムリヤリ奪うしかなかったのである。

そして、それを可能にしたのが現実の自然条件であり、そしてまた、彼ら自身の文化的・社会的傾向といったものである。人間そのものの資質というのがある程度のレベルに達していないと、こういうことは起こらないし、また、むしろそれ以上に、その傾向の特殊性の適合性・相性が問題になるのである。

生存のシステムが閉鎖的で固定した牧畜・農耕から、商業・海運(=海賊)へと移行して行く。生きて行く財産も方法も、何もなければ、人間は自由に生きて行くしかないのである。すべてを自分だけのリスクで、自分を生きて行くしかないのである。

こういうことは、東アジアの北方遊牧民がそうであり続けた。しかし、ここでは何も残らず、何も進化せず、何者にも変化するということがなかった。すなわち、変化のための現実的な条件といったものを欠いているのである。彼らは、常に中国の中心へと向かう。そして常にそれでもって完結する。これが東アジアの変わらぬシステムなのである。


戻る。                続く。

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