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変わらないこと、永遠に不変であることが理想とされる。なぜか? 「稲作」という生存のシステムが、それを求めるからである。変わらないということが、このシステムの前提だからである。このような、自己意識のないところに真の変化はなく、変化が無いということがこのシステムの条件なのである。何も変わってはならないのである。 自分が望み、願い、欲し、そして生み出したものが、そのまま現実の権威として、絶対の強制力・オキテとして自分自身を拘束し、それへと従属する。思考はそこで止まったままである。それ以上に進んではならないのである。 権威への従属こそが自分の本性であり、そして、それを絶対的なものとして受け止めている。それらすべては自分自身が生み出し、作り出したものであるにもかかわらず、自分の外から、自分とは別のものとしてやって来て、自分を縛りつけている。 そして、この状態を自然で当り前の普遍的なものとして受け入れている。だれも、それに逆らったり、疑いをいだくこともない。それは、生まれながらにして備わっている常識であると思い込み、信じている。 |
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