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ローマ帝国の世界支配は、個人の外面だけをどうこうするものであて、内面には立ち入らず、内面は無視する。だからまた、そうやって多民族の多様な民族同士の統合を成し得たのである。 しかし、それは同時に、精神が壊れ分裂し、引き裂かれ、内面に引きこもる。そしてこの引きこもりが、自意識の生成の場所となる。それは自己の外面に対立する内面の意識である。これは、自己の内部で自覚される自己意識である。 しかし、そうではなくて、自己の外部で認識される自己意識もある。自分と似たもの、あるいは正反対のものを見て、自分を強く意識する場合である。まったくの異質な世界との遭遇の中で、自分そのものが自覚されてくるのである。 スパルタとアテネ、中世日本とユーラシア大陸、全体主義と自由主義諸国のように。地理的にへだたっていて、直接のつながりが無いところで、自分と違うものを見ている。つまり、相手と違う自分を見ている、見ることが出来る。そうした場面、そうしたキッカケで自分というのが強く意識されることもある。 あるいは、外の世界は何も変わらないのに、自分自身が変わるとき、自分が強く意識されることもある。預かり知らない自分自身のなかにある未知の部分が見えてくることもある。例えば、過去と現在、否定と肯定、没落と復活、生と死においても、よく見えてくる。いままで知らなかった自分というのが見えてくる。自分で自分が意識されてくる。 |
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