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夢の中で、あるいは真昼の、めざめた意識のなかで、なぜかオバケがでてくる。めんどくさく、うっとうしく、わずらわしく、まったくヘキエキウンザリだ。むかつくし、気が悪い。マナーもルールもない。なぜ出てくるのか。僕の現実になぜオバケが勝手に出てくるのか。場違いだし、望みも求めもしない侵犯行為である。しかし、理由は簡単なようにも思えてくる。 自分自身が、自分というのを信用できなくなっているのである。こうした底無しの猜疑心が、無意識の世界の心の奥底から、オバケというイメージとなって映し出されて来るのである。オバケとは、実は自分自身の心のすがたなのである。 それは本来、現実にあるはずのない存在、つまり、自分自身のことなのである。現実に自分の「理由」が見つけられず、現実になじめず、外面だけで生きている存在、現実にあるはずのない存在なのである。理由も、実体も、中身もない、表面のカタチだけで生きている存在、つまりオバケである。 この世に存在するはずの無い、生きていること自体が不思議で不可解な存在、それがオバケであり、自分のことなのである。だから、そうした苦悩や絶望が、打ちひしがれ、さみしそうに死を望み、求めているように見えてくるのである。 |