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3、衝動。



たしかにボクはなじめないでいた。現実というのが底無しに怪(あや)しく、ウソとまやかしに満ちみちた、しらじらしい、偽善だけの世界のように思えてならなかった。そして、そんなことが恐ろしくて誰にも言えなかった。それは言ってはならず、言うこと自体が社会と自分自身を否定することになる。社会と秩序に対する反逆と見なされて、自分が孤立し社会から追い出される、追放され排除されることになりかねない。

でも、たしかにボクは、そうした猜疑心(さいぎしん)と果てしない疑惑でいっぱいだった。それは単に現実に対してだけでなく、そんなとんでもないことを考えてる自分自身に対してもそうであり続けた。現実が信じられない以上に、そうした自分自身というのがもっと信じられなかった。

ではいったい、どうやって生きて行く?
生きている自分の理由と根拠が見つからないのである。自分の正体はいったい何なのだ。自分は誰なのだ? わけの分からないオバケがボクを支配している。このような自分が生きているということ自体が、不思議で不可解なことなのである。この世に存在していること自体が、あり得ないことなのである。

そうであるならば、それが言葉や行動ではなくて、無意識の衝動として、本能として、暗示として、それが求め示唆する何かしらのイメージとして、心の奥底から映し出されてきて当然なのである。

言葉にも意識にもならない、それ以前の衝動として浮かんで来ざるを得なかったのである。それが映し出されたのは、ボク自身にとって見れば、当然であったとしか言いようがないのである。言葉とか理屈、感覚器官を素通りして、直接ボクの心の中に入り込んでくるのである。言葉も感覚も偽りである。より根源的な自分自身の、闇のなかの衝動として映し出されたのである。これが僕にとってのオバケだったのである。


戻る。              続く。

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