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6、意味。



自分というのが、自分の理由とか意味といったものが、何か別のものに変質してきているように思えてならない。自分が何かムリヤリ、別の自分に移行していっている。そんな気がしてくる。自分が他人のように思えてきて、現実が別世界の出来事のように白々(しらじら)しく、自分には異質なものに感じられてくる。自分が生きている世界とは思えないし、親しみが感じられないのである。

人々を支配し、つないでいる「文化」というのが、どこかで切断されていて、現実の世界が、これまれとは何かまったく別の、異質な世界に入ってきている。ちょうど、中世と近世の間にあったルネッサンスのように。それまでの世界と断絶しているのである。

自分の目に見えるもの、聞こえるもの、触れるもの、自分のすべての感覚といったものに、何かこれまでとは別の異質なもの、未知のものを感じている。それはいままで、自分が学校や世間で教えられ、聞かされてきたものとは、まったく別の感じ方である。むしろ正反対である。

現実にあるすべてのもの。見えるもの、聞こえるもの、触れるものといったことのすべてが、これまでとは全く別の意味を持つに至ったのである。そして、それを予感し、ためらいながらも期待し、そして導かれ、誘われて行く。

そうした、何か新しい世界への自己の衝動、必然性といったものが、もともと自分の中にあったものなのだと思えてくる。それこそが、まさしくホントの自分であるかのように思えてくるのである。これが、自分が生きているという実感であり、そして、確かな証明ではないだろうか。

自分自身に対して、そしてまた現実に対して、自分は自分の理由を持つに至ったのである。確かな自己の理由と、存在の根拠が、そこにあると思えてくるのである。


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