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4、めざめ。



しかし、それはまた見かたを変えれば、いわば、新たな世界の誕生、めざめ、再生と復活なのである。始まりは終わりの後にくるのである。自己の肯定は自己否定の結果なのである。めざめは、それまでが眠りであったことが自覚されて「めざめ」と言えるのである。眠りのないめざめもなく、自己否定のない世界に自己の再生もないのである。

そうしたことが理屈でもなく、外からやってくる権威でもなく、自分自身の内面のわけのわからない、得体の知れないところの直感として、本能として、なにかの衝動として浮かび上がって来て、映し出されたのである。なにかのイメージや、ささやき、何気ない自分でもよくわからない仕草として浮かび上がって来ているのである。

そうしたことが象徴され、暗示され、意識されることなく受け入れられて行く。しかし確実に、新たな感覚や価値観として意識されている。はじめそれは、近くで見ていると奇人・変人としか見えないが、それが、やがてごく普通のあたり前の風景となってゆく。

新しい異質なものが受け入れられるとは、こういうことなのである。だれもそれと気づかないまま、いつの間にか広がってゆくのである。新しい事とは異質なものであって、それは現実の日常の世界には無かったものなのである。今ある現実とは別の異質な世界からしか見えないものなのである。新たな「理由」の直感なしに、新たな現実は見えないのである。


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