index < 日誌 <j生理的情緒< 「情緒のカタチ」p5/ |
人間が何かを感じることができるという意味では、見るだけでなく、聞く、触れる、におう、などがある。しかし、ホントにそれだけなのだろうか? 人間は自分と関係するものだけを知り得るのであって、それ以外のものについては知りようがないのである。 「知らない」というのは、もともと何も無いから知らないとも言えるし、なにか有るのに、人間にはそれが感じられないから知らないとも言えるのである。しかし、それ以前にもとから何も無いということ自体が、「無い」ということを示すもので、「無い」とは、何もないものがそこに「有る」ということである。「無い」とは、それ自体が無いものとして、そこに存在していると言えないだろうか? というように、こうした考えはたいした意味はないのであって、だからまた、人間は自分と関係するものしか相手にしないのである。それ以外のものについては、感じることも、知ることもないのである。これが現実の世界というもので、もともと人間はそのように出来ているのである。 そうやって人間というのが作られているのである。それが人間というものであって、他のものと区別される人間のカタチ、しるし、すがたなのである。目に見える外形だけでなく、それが意味する生き方や、感じ方を表明しているのである。 |
index < 日誌 <j生理的情緒< 「情緒のカタチ」p5/