index < 日誌 <j生理的情緒< 「情緒のカタチ」p5/ |
それは何かと言えば、自己と自己以外のものを区別する境界であり、同質と異質の境い目、限界線なのである。そして、それはまた同時に、同質と異質の交錯する場所であり、自己と他者、そして別世界や異次元の世界が現れ出る場所なのである。自分にとっての未知の世界というのが意識される場面であり、それが映し出される情景、そしてそれが演じられる舞台なのである。 「演じられる」というと、なにか作り事のように聞こえるが、まったくその通りで、未知の世界とか、見知らぬものが見えてくるというのは、自分が心のどこかでそれを願っていたからである。そうした気持ちがなければ、それは見えてこない。 またそれは潜在的な可能性とでもいったものであって、自分の中にもともとあったものであって、それが忘れられ失われていたのであるが、それが何かのハズミで表に出て来ているのである。もちろんそれが何であるかは、本人にも分からない。だから自分でも理解し難いものなのであるが、それでも何かの、それを暗示し象徴するような気配として感じられてくるのである。 ハッキリしたカタチにはならないけれども、それでもそうした痕跡や気配として感じられてくるのである。これがすなわち、潜在的な可能性ということなのである。自分の事なのに、自分でもわからない、自分自身の中にある未知の部分なのである。それが何かのハズミでふっと表面に出てくるのである。 それは、ハッキリしたカタチではなくて、ただたんにそれを予感し、暗示するだけの象徴や、偶然のなり行きとして見えるに過ぎないのである。 |
index < 日誌 <j生理的情緒< 「情緒のカタチ」p5/