index < 日誌 <j生理的情緒< 「傾向」p4/


 
1、威力。



9月の日差しに、もはや8月の盛夏のような威力はない。威力とは圧倒的な力で他のものに迫(せま)ってきて、他のものの本来のあり様に変更を迫るもので、夏の太陽がそれである。

夏の強烈な太陽の光にさらされた地上の植物は、枯れて死ぬか、反対に、太陽に対抗して、太陽の熱を自分の中にムリヤリ取り込んで、それを自分の糧として、自らを形成して行く、そのどちらかしかなく、中途半端は許されず、そのどちらかを自分自身に強く迫るものなのである。閉じこもるということが許されず、外に出て取り込むか、何もせずに枯れて死ぬか、そのどちらかしかないのである。

こうした威力というものが、9月の日差しにはないのである。たしかにきつく、強く、暑いのではあるが、それは夏の終わり、最後のなごりとしての暑さの威圧なのであって、何もしなくても弱まって消滅してゆく威力であり、少しづつではあるが弱まってゆく暑さなのである。そして、そうしたことが実感として、そしてまた、何かの予感として自分の肌にも感じられるのである。

9月の西日(にしび)の暑さキツさといったものは、こうした日差しのことであって、8月なかごろまでの夏の威力的な暑さとは、その実体から言うと、まったく違ったものなのである。それは、これから衰え消滅して行く「威圧」なのである。何もしなくても自分から離れてゆく威圧なのである。


履歴へ              続く。

index < 日誌 <j生理的情緒< 「傾向」p4/