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8月中ごろまでの日差しは上昇し続ける威力であり、9月のそれは、下降し弱まって行く威力なのである。だから、同じサイズの同じ強度の威力といっても、その意味するところは全く異なるのである。7月のそれは破壊の前兆としての暑さであり、9月のそれは破壊の終息としての暑さを意味しているのである。例えば、春と秋とでは気温と湿度が同じ日もあるのに、それでもやはり、どこか違うのである。気分的にも心理的にもやはりどこか違うものなのである。 人間は、自分の肌や五感で感じる寒さや暑さ、しのぎやすさ、キツさといったものを、ただたんに機械的・無機的に感じているのではなくて、それを情緒としてとらえている。五感のリズムとして、体内の生理作用として、そしてまた、心の移り変わりやそのあり様としてとらえている。そうやって生きている。また、そのように感じてもいる。もちろん、それは本人が意識せずにではあるが。 言い換えると、人間は、それと意識することのない世界で、そしてまた、あるいは、本人の意識が届かない無意識の無自覚の世界で、すでに何か得体の知れないものに支配されているのである。そしてこの、何か得体の知れないものとは、自分を支配し包み抱いて、自分を自分として生み出し形成している特徴や傾向の根底にあるもの、すなわち、これが人間が生きている現実の世界といったものなのである。 |