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なぜ、春がめざめであり、秋があきらめなのか? それはある意味で心の問題、それぞれにとっての心の持ち方の問題でもあるし、そしてまた、肉体の感覚の感じ方の違いでもある。 ひとことで言うと、春は冬の次に来るものなのである。ということは、世界全体がいまだ寒く凍てつき、固まって閉じこもっている。人間も山々も、野原も、建物や道路も、道行く人も・・・、世界全体がそうなのである。 こうした現実の世界に、外から空気を通して暖かい大気というのが、入ってくるのである。冷たい世界に暖かい空気が入って来て、世界が少しづつ変わるのである。そして、それがわかるのである。自分の生きた五感でもって。自分の肉体でもって感じるのである。 秋は、春とまったく正反対で、緩(ゆる)みきった、どうにもならない祭りの後のような世界に、日々、太陽の光が薄れて行く。現実の世界はまだ暖かいままなのに、それを支えている太陽の光が徐々に弱くなって行く。取り返しがつかないし、人間の力ではどうにもならないものなのである。 それは運命とでもいうべきもので、人間はそれに従うしかないのである。そうした、あきらめやためらい、やるせなさが、内省的な心の動きとなって心の中に現れてくるのである。 |