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心はゆれ動き、変化し、移って行く。そうした心の動きといったものが、自分の外にある四季の変化と密接に連動して交流し、作用し合っているのである。そしてそれが、その民族集団特有の感覚のあり方や、心の持ち方、情緒といったものを形成しているのである。 それは、自分の肉体の中を流れる血液の流れであり、心臓の鼓動であり、リズムであり、精神と肉体の調和なのである。そうしたことが、自分の中の無意識の世界の中で、たしかなものとして生き続けているのである。 それは言うなれば、その民族の祖先の魂(タマシイ)であり、祖先の記憶が肉体のなかで化石化して、自分自身の骨格として堆積され、それが現実の形(カタチ)になったものである。肉体の仕組みと構造、そしてその役割や機能としてそうなのである。さらにまた、その機能の仕方や様式においても、またそうである。そしてまた、感覚の感受性や生き方、生活の仕方においても、そうなのである。 自分では、どうにもならないとはこのことであり、それがまた自己の精神の、内的同一性の根源となっているのである。自分自身の理由、生きている意味といったものである。永遠の、はてしなく限りない自分自身というものを抱き締めているのである。 |