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たとえば、同じ気温であっても、秋の方が少し乾燥している。気温が同じでも、秋の世界は春とはまったく対照的なのである。春をめざめと再生に例えるならば、秋は終息と解体の始まりと言える。 春が目指した生命の充満と上昇が、秋に限界を超えて下降し始め、解体し、終息を目指してすでに動き始めているのである。だから何か、何となしに気が滅入ってくるのである。やるせなく、居たたまれなくなって、心が内向きになってくるのである。 それは、もはやどうにも逆らうことの出来ない、四季のめぐり合わせであり、それに伴う心の移ろいなのである。それはもはや、春のような張り詰めた空気ではなく、緩(ゆる)みっぱなしの、どうでもよい、どうにでもなるし、なるようにしかならない、どうにもならない、そうしたあきらめと、沈潜して行くような内向的な世界なのである。 世界から光のコントラストが弱くなって、影が薄くなり、輪郭に奥行きがなく、ノッペリとした平板な感じになってゆく。この世界を彩った様々な鮮やかな色が消えていって、弱く、そして生彩を欠いたくすんだような、まるでモノトーン(白と黒)の内向的で、自己の記憶の世界を見るような感じになって来る。夏の外向的で行動的な世界から、冬の内面的で内省的な世界に移って行く。 |