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2、移ろい。



春にはめばえて、ゆるんで、開いてくる。冬に固く閉ざされていた世界が、暖かい太陽の陽ざしの下で、自らを開いてくるのである。それはまた同時に、四季を生きる人間にとっては、心のなかの風景でもある。

冬の冷たい、何もかもが動かずに、自分の固い殻(から)の中に閉じこもっていて、いわば、無機質の世界にあって、その中から何かがめざめ、生まれてくるのである。太陽の暖かい日差しと豊かな水が、それをいざない、導き、さそいだしているのである。

自分の限界を打ち破るような、そんな何かに導かれて、予感し、予測し、その前兆を読み解いて、自(みずから)らを開き、そして形成して行くのである。なぜか、わくわく、うきうきして来て、心もはずんでくる。空気も音も色も、世界の何もかもが新しく、鮮やかな世界を映しだしている。

なぜか心が弾(はず)んで来て、期待と予感に胸がおどり、そして訳もなくうれしくなってくるのである。そしてまた、目覚(めざ)めたばかりの世界で戸惑い、ためらいながら緊張もしている。そんな張り詰めた空気の中で、はつらつとした、すがすがしい気分になって来る。

こうしたことが、まさに春の日々の意識されざる、心のなかの風景といったものである。なにも意識しないのに自然にいつの間にか、そういう気分になってくるのである。そういう状態に心が置かれているのである。冬から春へと至る世界の変化は、同時にまた、私たち自身の心の中の風景、自分自身の移ろいゆく心のあり様を映しだしているのである。


戻る。              続く。

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