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しかし、それがもっとも手間いらずで、出世のコツでもあるし、だれとでも仲良くやって行ける方法なのである。そして、だれも深く考えないし、まして、自分自身に問いかけるようなことはしないのである。そうした必要もないのである。 何もかもわかっていることなのだから、あとはただ何も考えずに行動するだけなのである。そうやって世の中がうまく、とどこおりなく進んでゆくのである。そして、こうした状態が外面的で形式的だというのである。 こうした状態は、表面をただ撫でるだけの、中身はどうでもよい形式的なもので、誰にでも簡単にマネしてこなして行けるし、分かりやすいし、そして、だれがやっても同じことしか出来ない。個性が消えて均質な、誰にとっても扱いやすく分かりやすいものなのである。 中身がぼやけて薄れて曖昧で、わけのわからないどうでもよいものとなっていて、限りなく無意味なものとなっている。無意味だからよいのである。何も考えることも、悩むこともしないで済むからである。無意味でなければならないのである。 形式から中身が消えて、その意味するところが失われて、まるで、なにかのヌケガラのようになっている。形式がもともと持っていた、そのタマシイといったものが無くなっている。外面的で形式的だというのはこのことなのである。 |