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1、座標軸。



もはや、どうでもよいのである。現実のなかで感覚が何かに身を任せて漂っている状態。いまだ、意識にまで達することのない感覚の鈍感さ。そして意識を包む、ぼんやりした感覚のあいまいさ。

こうした状態は、意識と感覚の主観的な座標軸であって、それが、絶対的ゼロの状態を指している。それが標準であり、基準であり、そして始めの状態なのである。

それは情感というのが、もっとも安定した状態にあるのであって、この状態からの変化を望まないのである。だから、居心地がよいし、多少意にそわないことがあっても気にならないし、そんなことは、どうでもよいことのように思えてくるのである。

現実に生きている自分というのが、何かふんわりしたクッションの中で、浮かんで漂っている感じである。例えば、西洋ではそれを「エデンの園」といい、東洋では、「桃源郷」と言っている。いうなれば、自己の感覚と情緒の始めの世界である。


 戻る。              続く。

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