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2、生成の場所。



では、それはどこかといえば、それは感覚といったものが生成されてきた「場所」を意味している。そのもとで祖先が生きてきた、文化の記憶が宿る場所である。

しかし、それがいつどこでなされたかは問題にならないし、たしかめようのないことである。それにそれ自体に大きな意味はないのである。具体的にどういう場所だったかというよりも、それが、感覚に変換された場面やキッカケといったものが大事なのである。動機や理由といったことが大事なのである。

とすると、日本列島の場合とてもわかりやすいのである。なぜなら、それは、ほとんど固定しているからである。日本列島は大陸のはずれの、ふくろ小路の、離れ島なのである。

ということは、たまに人が入ってくることがあっても、出てゆくことがほとんどなかったのである。または出て行くことが難しかったのである。外(大陸)からの直接の影響が非常に少ない、孤立した「島」だったからである。そうした文化的「ガラパゴス」の世界だったのである。

これが、日本列島に生きる者にとっての、現実の世界だったのである。そしてまた、こうした条件が感性や情感の特性を決定し方向づけたのである。その背景や下地、前提となった地理的・歴史的条件だったのである。


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