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4、禁忌(タブー)。



たとえば、「見ているもの」が、見えているのか、見えないでいるのか、見えていなければならないのか、あるいは、それが見えてはならない「禁忌」のもので、見ても、見えても、気づいてもならないものなのか、というのは、本人の意志とはあまり関係のないことなのであって、本人自身にもとから備わっている感覚とは別の理由に基づいているのである。それは、社会的な必要に基づいた強制なのである。

そうした意味で人間の感覚というのは制約されてもいるし、あらかじめ外から、つまり、自分の外の社会から求められ、強制され、仕組まれ、規制されてもいるのである。

これは、見てはならないものという境界線を定めたものであるが、これはまた反対に、見なければならないものという、見えていなければならないし、見ようとしなければならないものという、積極的な方向性をも定めている、と言える。

人間が生きている。生きて、感じて、行動している。そうした現実とのかかわり方の根底にあるのは、こうした感覚の感じ方にあるのであって、それが人間の生き方や考え方の、それ以前の前提としてあるのでないだろうか、ということである。そして、それが自分の意思とは関係のない、その時代の求めによって定められているのである。


戻る。              続く。

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