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そして、前にも言ったことであるが、こうした感覚の、そしてまた感覚の感じ方の、いったいどこからどこまでが自分の感覚で、それとも、他人から強制された感覚なのかというのが、自分でも識別できないでいるのである。あいまいで混沌としていて、入り乱れて、錯綜しているのである。 「感覚」そのものが、後天的な社会的文化的習得によって形成されるということである。もちろん遺伝によってもたらされる直接的な感覚もあるが、この遺伝に基づいて生後に社会から習得される、感覚の「感じ方」というのがあるということである。 だからまた、不思議な違和感に苛(さいな)まれたりするのである。それは視覚や触覚といった感覚器官だけでなく、それがもたらす感覚の感じ方やセンス、情緒や感情についても言えることなのである。知らぬ間に、気づかないままで、自分が他人によって支配され、誘導され、仕組まれ、作れているのである。どれが自分なのかわからなくなってくるのである。 たしかに世の中には変わった人間がいる。善いとか悪いとか言うのではなくて、とにかく変わってるのである。まわりのみんなと違うのである。身体の動きや立居振舞、しぐさ、身振り素振り、それに顔の表情や感情の表れ方、といったものが周りのみんなとどこか違うのである。 こういう人間は印象にも残るし、目立ちもするし、なにかにつけて得したり損したりして、まわりもそのように見るのである。つまり、そういう人間は、何を考えているのかわからない、訳のわからない人間として見られるのである。 |