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1、光学的映像。



光とは電磁波のことなのであるが、人間が見ることの出来る光の範囲は、およそ決まっていて、赤から青の範囲で、それ以外の波長は熱とか紫外線として、目以外の触覚で感じている。熱いとか痛いというのがそれである。また、電波も電磁波であるが、人間はそれを直接感じることはできない。

人間の目に見えるもの、それはなによりも光として、人間の目の水晶体を透して網膜に映し出された映像である。それは言わば「光学的映像」であって、言い換えると、この光学的映像によって、人間が見る映像というのが制限されているということである。

こうした光学的映像をもたらしている、目の仕組みや構造によって、人間の目に見えるものが左右され、影響され、変形されてもいて、それが「見える」ということである。つまり、人間の目に見えているものが必ずしもそのまま、現実を反映したものではないということである。人間は、自分の感覚器官の都合に従ってものを見ているのであって、物理的にも、観念的にもそうなのである。

まず、光そのものの性質がある。光そのものが屈折、偏光、反射、透過、回折するのである。だから、現実に無いものが見えて来たり、位置がズレていたり、揺れ動いたり、色違いなどが起こったりするのである。

それらは主に人間と物との間にある、空気の存在がその原因となっている。蜃気楼、陽炎(かげろう)、虹(にじ)などもそうである。人間の目は、現実に無いものを見ているのである。目が光に依存した感覚である限り、そうならざるを得ないのである。

幻(まぼろし)もそうであるが、それはむしろ、人間の中にある心理的で観念的な心の動揺が、その原因になっている。こうして人間の目は実際に無いものを映し出しているのである。人間は、現実に無いものを見ているのである。


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