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2、生理的映像。



これはある意味でとっても重要である。内と外、精神と肉体、古い記憶といま見ている現実、潜在意識と現実、そうした自分でも意識することのない、無意識の世界が複雑に絡み合っている。むしろ、非常に古い無意識の記憶の世界を見ている。

目の網膜上で、色の色相と明るさの明暗が反転するのである。補色や残像の現象がそれである。そうやって人間は自分の目をバランスさせ、安定と統合性を保っているのである。意識せざる古い記憶や潜在意識の世界を見ているのである。忘れたもの、失われたもの、捨ててきたものを見ているのである。

意識として記憶されたものではなくて、感覚器官の生理作用の積み重ねとして、そのパターンや機能そのものとして、無意識の世界で記憶されてきたものを見ているのである。だから意識もしないのに、なぜか不思議で不可解な異和感を覚えるのである。自分の意識が途切れたところで、自分の生理の世界を見ているのである。

これは、意識として記憶されたのではなくて、感覚の生理作用なのであり、意識とは別のところで、肉体がそれ自体で記録してきたものなのである。機能や役割、そしてその仕方として肉体自身が保存してきたものなのである。

以上のような、感覚の生理作用の結果としての視覚の混乱とは別に、「錯視」というのがあるが、これはむしろ、見る者の「思い込み」に基づくもので、例えば似たものとして、前進色・後退色、暖色・寒色などの気分的情緒的な感じ方があるが、これらも経験と記憶の積み重ねから来る、観念的・生理的な「思い込み」から来ているものである。


戻る。              続く。

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