index < 日誌 <ab女体< 「女の顔」p8/ |
遠くから麗(うるわ)しく優しげな女が近づいてくる。胸がときめき、うれしくなってきて、心がはずむ。近くまできて、よく見ると「男」だった。バストのふくらみがない、髪の毛のセットもどこかチグハグで、何よりも目の中の色が違う、輝き方が違う。意志的で、衝動的で、そしてやや暴力的で強迫的なのである。 にもかかわらず、顔だちは優しく理知的で、どう見てもやはり美しいとしか言いようがないのである。これはいったい何なのだろう。自分でもわけがわからなくなるのである。自分自身に対しても、相手に対しても、とまどい迷ってしまうのである。 女の顔をした「男」、「女」の心理と情緒と気持ちを持った「男」、女の精神を持つ「男」の肉体、そしてその正体。精神と肉体、観念と現実との限りない修復不可能な分裂と倒錯。たしかに、それと気づいたときキモチ悪くて、ゲーゲーしそうになる。それとも、馴れるとそれが楽しくなるのかも知れない。 これは理屈ぬきの生理的なものである。自分ではどうにもならないアレルギーみたいなものである。もちろん、それはもしかすると偏見なのかも知れないが、僕にだって、それと気づくことなく固定観念となってしまったシキタリや習慣の偏見もあって当然で、それが偏見であると言われても少しもおかしくないのである。 しかし、どのように考えても、男が求め願い欲するものは、自分にないもの、つまり暴力的でも意志的でもない、情緒的なおだやかさである。それはまた、見た目の身体のカタチにも現れている。丸みを帯びたふっくらした、湾曲した曲線などがそうである。親し気で優しく包むような形状である。やはりそれは、女性特有の外見である。 |