index < 日誌 < 怪談< 「自分の中の他人」p5/ |
これはいったい何なのだろう? 自分でもそれがなぜなのか分からず、自分で自分がわからなくなって、自分で自分に苦しみ悩むのである。見てはならないもの、気づいてはならないものに、気づいているのである。それがおぼろげながら見えているのである。 それは、もしかすると祖先の記憶なのかも知れない。遠い祖先が経験した肉体の生理作用や感覚の機能といったものが保存されていて、それがカタチとなって今を生きる私たちの肉体となっているのである。だからまた、私たちは、自分の肉体の中に祖先の記憶を見ているのである。見て聞いて触れるなどといった自分の肉体の感覚そのものが、祖先が経験してきた記憶の世界なのである。 そして、そうした感覚の、時間的な変化の移りゆく連なり、そのリズムが、そしてその精神のバランスといったものが、心臓の鼓動や血の流れ、呼吸する息の振幅や起伏といったものに現れているのである。そうした意識せざる感覚の感じ方や無意識の心情、そしてそのもっと奥にある魂が、現実の願いや怯えとなって映し出されているのである。 人間は、何かを意識したり、行ったりする以前に、そうした情緒の世界を生きていて、そして、それに支配され規制され方向づけられているのである。自分でもどうにもならないとは、このことなのであり、これがまた、自分の正体なのである。 |
index < 日誌 < 怪談< 「自分の中の他人」p5/