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それは、どうでもよいような日々の暮らしの単調なくり返しのなかで、それと意識することも、気づくこともなく積み重ねられてきた感覚の記憶、情緒そのものであって、だからまた、それが何かと問われても、自分でもわからないし、答えようがないのである。何かしらのイメージやカタチとして思い出すことが出来ないのである。 それは言葉でも、何かの考えでもなく、それ以前の純粋な感じ方としての感覚、意識から分離した感覚そのものの世界、その生理作用や機能そのものの累積された繰り返しの世界である。肉体の記憶、あるいは情緒とでもいったものである。 だから、そうした肉体のカタチとしてだけ残り、化石化した意識不可能な「記憶」に、理由とかワケなど無いのである。はるか以前に消失しているのである。記憶のカタチも、考えの脈絡も失なわれていて、だから、それが何かと問われても答えようがないのである。 本人自身が、誰よりも最も知らない部分なのである。何かの記憶のカケラ、その痕跡みたいなものが心のどこかにあって、それがいつも心の中で引っかかったままで、なにかのハズミでふっと、表に出てくるのである。 しかし、痕跡だけでは何もわからないし、知りようがないのである。ただそれが底知れぬ感情の起伏となって呼び覚まされ、発見され、そしてめざめて思い出されてくるのである。叫びや怯え、恐怖や苦しみ、嫌悪、あるいは祈りや憧れ、そして何かハッキリした目的も理由もない、盲目的な願いや恐れとして呼びさまされ、感じられてくるのである。 |
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