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自分の中にある得体の知れない精神の問いかけに、自分自身の肉体の感覚が答えているのである。目に見える現実を無視して、感覚が感覚だけの都合で答えているのである。自分でも知らないものを、感覚自身の何かの生理作用のパターンとして表現しているのである。 あるいは、それに連動した感覚や神経の生理作用が、条件反射となって、それを作り出しているのである。感覚が、感覚それ自体の役割として、盲目的に機能しているのである。そしてこの、自分が作り出した生理作用の結果に、自分で恐れ慄(おのの)き、驚愕し、おびえているのである。それは自分の中で起こっていることであって、現実にないものなのである。 といっても、自分の中では確かに起こっていることなのであって、自分の中で、自分で自分を相手にして見つめているのである。自分で自分を、他人のように接して相手にしているのである。自分の身体の中で、身体が勝手に反応して作用していて、それがまるで他人によって為されたように感じられてしまうのである。 だからまた、現実に無いものでも、その気配を感じるし、「見た」と思えてもくるのである。自分の内と外、精神と肉体、意識と現実が入り乱れて錯綜し、混乱している。そうした、空想と現実が入り乱れて取り違えた世界である。 現実にないものが見えたり、聞こえたりするというのは、このことなのである。自分で自分の肉体の中の古い記憶を見ているのである。そしてそれが、なにかのキッカケで表面に出てきているということなのである。そしてまた、そうしたことに感じやすいタイプの人間だということなのである。 |
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