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7、証明。



それは、自己の内的な同一性である。そしてそれが、自分が自分であることの証明を求めているのである。自分がだれなのか分からなくなるからである。だからそれを、強く求めるのである。そして、自分が分からなくなるのは、自分が分裂していて、バラバラにひき裂かれて収拾がつかず、あちこちで切断されて、その統合に苦しんでいるからである。

自己の全体性が見渡せず、その一体性が損なわれて、どこかで切断されていて、途切れて、めくれて、はがれて、えぐれていって、傷口が裂けていって、自分で自分が理解できずにいるのである。

そして自分の中でつながりが失われて、見えなくなって、自分で自分を統合できずにいる。それらを揃えて、並べて、関連付けて、自由にあやつって、動かして行くことが出来ずにいる。自分自身のことなのに、自分で自分を支配できずにいるのである。自分が、まるで他人のように思えてくるのである。

しかし、まさしくこれこそが、自分自身のありのままのすがたなのである。自分自身というのを確められずにいるのである。自分が分からなくなるというのは、このことなのである。だからこそ、それが強く求められるのであって、そしてまた、自分というのを強く意識せざるを得ないのである。

そして、それが執拗に強く迫って来て、心臓が押し潰されそうになるのである。それとは、つまり、自己の内的同一性(アイデンティティー)のことである。自分自身の生きている「理由」、そしてその必然性である。自分が自分であることの証明を求めているのである。


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