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1、印象。



「色」とは生き物の活動の証であって、枝葉の内部と外の空気との活発な交流を表現している。それは、生命の活動が色となって表現されている。だから反対に、秋の植栽の表面は色あせて、くすんで、かすれて行き、冬には形だけとなる。

くすむのは、ものから色の鮮やかさが消えて、灰色が混じるからである。ものの表面がかすれてくすんだ灰色の濃淡として表現される。灰色の濃淡とは、つまり、生きた個性といったものが消失していって、結果として形(かたち)だけが残ったのである。

物体表面の色とは、物体内部の表現なのである。ものの個性が、現実世界の表面に映し出されているのである。それが無くなったとき、灰色ないし白黒の世界となる。そうなると、これは個性というよりも、ものとして見ている。言わば、記号化された記憶の世界を見ている。

色が映し出されることによって、それはものの記号から象徴へと変化する。記憶から、生きた現実へと移行する。頭のなかの潜在的なものから、現実の顕(あらわ)わなアクティブなものへと移行する。秋の空の何か、もの思いにふけるような印象は、色が消えて行き、景色が灰色に染まるからではないだろうか。


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