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2、方向。



秋は、空気に灰色の混じった世界である。潜在的で内向的、かといって冬のように閉じこもるのでもなく、外の風景に、自分の内的世界を透過して見ている。そんな心の持ち方である。だから冬のように自分を閉ざしてはいないし、心は開いている。

といっても、しかし、他(ほか)のことを考えているのである。それがはたして何なのか、自分でもわからないけれども、ただ心境といったものが、やはりよそを向いているのである。よそとは、つまり指向する方向であり、やがて訪れる冬の到来と、夏の終わりを予感しているのである。

秋の風景が擦(かす)れるのは、水の潤いが少ないからで、肉体の内部では、外気との交流を避けて、外から内部へと活動の方向を変えつつある状態なのである。また、潤いがないのは、四季の循環であって、もうすぐ冬が来るということである。

だからそれに合わせて抵抗せずに、それはムダなことだし、あきらめて、自らをそれに合わせて、自分の内部へと向かうのである。それは、自分の外の自然に対してそうするだけでなく、自分自身の肉体そのものが、肉体自身でそういう方向を取るのである。


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