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個人の感覚や感情、考え方、そしてまた、好き嫌いや、性格や生き方といったものは、本来、本人の個性に属するものが、それが他人のコピーによって成り立っているのである。自分自身の身体と精神、そして現実に生きている存在といったものが、自分以外のだれか他の者によって乗っ取られ、支配され、自分が自分で無くなっているのである。 こうなると自分というのが、もはや現実に存在しないのである。それは実体からいうとオバケである。自分自身というのが、もはやこの世に存在しないし、すでに死んでいる。それは自分ではなくて、他人なのである。 自分が自分であるというのはこのことなのである。自分は自分であり続けてきたし、これからも自分であり続けるし、いまも自分であり続けている。それは自己の内的必然性なのであって、この自己の必然性が他者と自己とを区別する示標であり、互換不可能な個性であり、自分が他人になり得ない理由であり、自分が自分であることの証明なのである。 自分は他人とは別のもの、別の存在でしかないのである。自分は他人になり得ないし、自分は自分でしかないのである。そしてそれがまた、自分が自分であることの証明であり、必然性なのである。自己の必然性とは、自己の内的自律性であり、存在の理由なのである。 |
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