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それは、表面上で無限の変化を示しつつも、その本質においては自己同一であり続ける、同一の必然性のもとに動いている。同一の原理、同一の理由のもとに動いているということである。つまり、自己が同一であり続けるということである。 もしも、自己というのがそうでなくなった場合、つまり、自己同一であり続ける必然性といったものが、どこかで切断し、破壊され、喪失した場合、自分が自分で無くなる。自分の根拠と理由が無くなるのである。自分の肉体から存在理由といったものが離れて行く。自分は理由を持たないワケのわからない人間になってしまう。精神は肉体から離れて、肉体を見失い、居場所を喪失する。 自分が見えず、確められず、自分が誰かわからなくなって、自分を見失う。自分自身が本来持っているはずの自己の必然性といったものが、どこかで見失われているのである。にもかかわらず、生き続けなければならないし、現実に生きている。このような自分は、自分以外の誰か他人によって活かされているのである。 自分自身の必然性といったものを持たない存在なのである。あるいは、自分自身の肉体を持たない存在である。自分の身体が他人のものになって、自分のものでなくなった状態。すなわち、奴隷である。自分自身の身体や精神、そして現実に生きている存在といったものが、自分以外のだれか他の者によって乗っ取られ、支配され、自分が自分で無くなっているのである。 |
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