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それは、私たちが生きている地球そのものが、すでに出来上がった、与えられた現実なのであって、人間はこの地球の上で生きているのである。生きて来たし、生きて行くしかないのである。 それは実験室の巨大なフラスコ(試験管)に例えることが出来る。地球が巨大なフラスコの中にあって、その条件と環境に適合するものだけが生き残り、システムを生成し、保存し、次世代へと継続し、歴史を形成して行くのである。事前にそのように設定されているのである。 それは、この地球という条件と、それが前提にしている自然環境においてのみ生成し得たものであって、そうしたものだけが生き残り、歴史として継続してきたのである。それは言い換えると、地球そのものが持つバランス(調和)であり、指向する方向性なのである。 それは、地球と、そこで生きる生命のシステムが継続していくための前提であり、自然の条件であり、そしてまた、生命がここで生きていくための本能や衝動といったものである。 私たち人間は、そうした意識せざる必然性の世界を生きている。あるいはまた、必然という調和(バランス)の世界を生きている。宿命といってもよいだろう。ここで、この現実を生きて行く以外にないのである。それは、救いや願い、あるいは祈り、信仰といったものなのかも知れない。 だがしかし、そうやって生きて行くことになるのである。そしてまた、それが必然なのであり、人間が持つ本能的な指向性ではないだろうか。そして、願う指向性は途中で壊れもするし、ピントハズレだったりもする。思い通りにならない。だからこそ、指向するのである。そうした偶然の重なりの累積した結果が、現実の世界ではないだろうか。 |
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