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8、情緒。



人間が持つ感覚の幅や深度、その方向性、そしてその特殊性は、そこで暮らす文化と自然条件によってすでに与えられ、定められ、決定されている。それ以外になく、その選択の方向性や幅といったものが、すでに歴史と文化、そして自然条件によって制約され規制されているのである。事前に設定されているとも言える。そして人間は、自分が必要とする方向へと最適化して行くのである。

それは人間の身体と感覚が求める方向性であり、必然の結果なのである。そして、それが時間の流れの中で連続し、つながって、感情や気分の特有のあり方やリズムとなって、抑揚や雰囲気や気分の、意識せざる日々の日常的な常態となる。そうした気分のあり方、気持ちの持ち方、自分を包んでいる生活の「空気」といったもの。

それは、あまりに当たり前で、イヤ、それ以上に当り前過ぎる当然の、日常なのである。だから、それを意識することもないし、気にすることもないし、また、何かを感じているとは、自分自身にも思えて来ないのである。

そうした気分のあり方、当然の条件、無意識の前提となっているもの、それが「情緒」といったものではないだろうか。そうした意味で、人間は情緒の下で生きていて、それに支配され、方向づけられ、定められている。それ以外の「現実」というのが、人間には与えられていないのである。


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