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1、マブしさ。



夏の日光のマブしさというのは、自分の感覚で感じる夏のそれとは必ずしも同じではない。むしろ生理的・情緒的なものである。それは、めまいのするような幻想的で情緒的なそれではなくて、もっと現実的で厚かましくふてぶてしい。そしてやりきれなくいたたまれない、そんな暑さである。自分が否応(いやおう)なく自分の外へと追い立てられてゆくような、そんな暑さである。

空気の暑さというのが湿気と水蒸気でむし暑く、それがなにもかもやりきれなくしていて、世界をおおいつくしている。暑さというのが湿気を通してカラダのなかに入ってくる感じで、それが自分を強制していて、外の感覚的な暑さが自己の肉体の生理的な暑さとなっている。そしてまた情緒まで支配している。

「暑さ」というのが、人間をして観念の世界に閉じこもることを許さないのである。内向的にならず、外向的であって行動的にならざるを得ないのである。何かに集中してそれのみに意識を固定することが出来ず、移り気で衝動的、感情的にならざるを得ないのである。

ふてぶてしく、相手におかまいなくずうずうしくて、むきだしで、世界のなにもかもが、それぞれすべてが自分だけを主張し互いに張り合って、でしゃばりあっている。だれもかもが他人を押しのけて外の世界へ出てこようとしている。空気も、空も、雲も。そして植物も動物も。それに、建物や道路、そしてまた人間の顔の表情もそうである。

それらすべてをせきたて追い立てているのが太陽の光であって、それによって地上のすべての生命が条件づけられ、方向づけられ、そしてそのすがたをあらわしてくる。太陽の光によってカタチとすがたを与えられ、そしてまた映しだされるのである。


 戻る。             続く。

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