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感情の起伏や抑揚、ときめきや祈り、感謝や喜びといったものは、確かにそれ特有の情緒の上で演じられているのであるが、情緒そのものとは別のものである。情緒というのは、自分というのが自覚されることがなく、そうした無意識の世界で自分と他者、そして外の世界が一体となって溶け合った状態である。だから、意識が自覚されることがないのである。 そして感情は、この情緒の上で何かのキッカケで演じられる心の動きである。だからまた、意識もされるし、自覚もされるのである。情緒の中から、そこから引き離された感情が浮かんできて、たわむれて、演じられている。まるで何かの歌や踊りのように。リズムに乗って興奮したり、上がったり下がったりしながら、あるいは何かを求めたりしているのである。 そうした、自分の中にある心の変化といったもの。揺れ動く心の、移りゆく情緒や感性といったものが、外からの何か強列な衝撃やキッカケによって、急激な変化にさらされて、いやがうえにも舞い上がったり、沈んだりするのである。 そうした、感情や情緒の起伏と抑揚、体内の血の流れや鼓動の音、自身の呼吸や息吹きの気配といったもの。そうした、きわめて個性的で、その人にしかない、固有の感覚のリズムといったもの。そうしたことが、どこかで切断されたり、途絶えたりする。あるいは、外から入って来たりもする。そうした「変化」というもの。あるいは何か別のものになるという「移行」というもの。実は、そうした移りゆく変化の中に自分自身を見ているのである。あるいは気づき、意識し、自覚し始めるのである。 |