index < 日誌 < z自意識< 「体内感覚」p5/


 
5、復活。



自分の中にある潜在的な可能性とは、かつての自分が、それと気づくことなく排除し捨ててきたものなのである。そうした感覚や、感じ方や、感性といったものである。それらが再び発掘され、発見されてめざめてくるのである。

「めざめる」というのは、自分自身を含めた現実のすべてが、何か別の意味をもったものとして自分にせまってきて、そしてさらに、それらが、見え方、感じ方、かかわり方において、それまでとは別のものとして扱われるということである。

だからまた、現実というのが、それまでとは全然別の世界のように思えてくるのである。同じ現実を生きているにもかかわらず、現実の意味と見え方、かかわり方が、全然別のものに変化して、他のものに移行してゆくのである。

なによりも人間自体が変わるのである。感覚も、精神も、生き方も。人間自身を動かしていた必然性に変化が生じているのである。いままで潜在的な可能性に過ぎなかったもの、未知で異質で得体の知れなかったものが、すがたカタチとなって自分の中に映し出されてきて、理解もされてくるのである。そしてそれが古い必然性を押しのけて、自分自身を支配する新たな必然性を導いてゆく。

古い自分自身の感覚や感じ方が排除され捨てられて、いままで捨てられ忘れられていた感じ方や感性がめざめて、新たに再生してゆくのである。単に古いものの復活ではなくて、それを土台にして、そこから新たな自分自身というのが再生するのである。


戻る。           履歴へ

index < 日誌 < z自意識< 「体内感覚」p5/