index < 日誌 < w目の中< 「めざめ」p6/ |
それは、交通事故のようなものだ。予測不能、突発的で破壊的。いきなり迫って来て、ほんの一瞬のあいだに何もかも破壊して、過ぎ去って行ってしまう。そして、元通りにはできない。運命としてあきらめ、受け入れるしかないのである。もちろんそのための備えはしているのであるが、やはり破壊的なのである。あきらめるしかないのである。 そうしたことが、いつ、どこで、どのようにとは分からないけれども、それは必ずやって来るものなのである。眠りの森の美女がそうだし、冬眠から覚める生き物たちがそうだし、百数十年前、鎖国日本が世界に目覚めたのもそうであった。 もともと自分の中に何かがあって、それが何か外からの衝撃で開いてしまうのである。そして、めざめていっせいに現実の世界に現れるのである。しかし、内部からの衝撃だけだと、開いてもまた、すぐに閉じいるか、それともそのまま壊れて行く。かつての東アジア世界の歴史がそうであった。何も変わらずに、いつも同じことをくり返すだけであった。 なぜなら、開いたとしても、目標とすべきものが何も見当たらないからである。だから、衝撃は外からの方が破壊的である。システムの本質が変わるという意味でそうなのである。外に向かって開くだけではダメで、それが何かにならなければならないのである。そこに何かがなければならないのである。 |