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6、デリカシー。



だからそれは、実際の現実だったかも知れないし、あるいはまた、もしかすると夢か幻、幻覚だったかも知れないのである。そしてこの「知れない」というのがとっても大事なのである。

知れないというのは、自分でもわからないということであって、自分を離れたところにある世界だということである。。だから天使(または悪霊)なのであって、そうとしか言いようがないのである。人間の言葉でもってしては他に表現のしようがないのである。それは自分の心の奥底から浮かんできて映し出された何かの衝動なのである。
(注;天使も後ろから見ると悪霊そのものだったりすることがある)

このような目眩(めまい)や立ちくらみ、あるいは一瞬、気を失いそうになるとか、我を忘れてしまう瞬間というのは、日々の暮らしの中でたびたび経験している出来事である。何もめずらしいことでも変わったことでもない、当り前のごくありふれた風景である。

つまり、言い換えると、天使(または悪霊)はいつでもどこでも僕たちのすぐ近くにいて、僕たちを見ているのだけれども、人間がそれに気づかないのである。気づくこともないし、それを求めるといったこともない。また、求めても「適う」というものでもない。

気づく必要もなければ、気づいてもならない、ということでもある。だからそれは、とっても残念なことだし、感覚が鈍いデリカシーに欠ける人間と言われても仕方がないのである。

それは、失われた私たち自身の心の問題なのである。いつの間にか知らぬ間に私たちの心の中から天使(または悪霊)が消えて失われているのである。見えなくなっているのである。

このような、自分自身の失われた記憶の中から、もう一度、自分を発掘し発見し再生して行こうとしているのである。それが、自己の「めざめ」と復活の瞬間なのである。


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