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5、意識。



このような条件や制約といったものは、現実の世界がそうなのであり、このような対立を通して世界が見えても来るし、感じられ、理解もされてくる。そして自分で納得もするのである。自分の中で、現実の世界というのが整理され、秩序付けられ、関連付けられて、一つの全体として意識されてくるのである。

自分自身の観念の世界に、現実の世界が映し出されて、こうした対立を通して自分が意識され、そしてそれが自分と現実を支配し拘束するものとして理解されてくる。そうやって、自分が外の現実とは違うものとして、自分の生き方や生活といったものが理解され、納得されて来るのである。

現実の何もかもがそうであり、そして自分自身もまたそうなのである。そうならざるを得ず、そうなるしかなく、それ以外になく、そしてまた、それがそれぞれにとっての存在の理由となっているのである。現実とは、このような思考のされ方が、現実のカタチとして認識されたものと言える。

人間とは、このような観念の世界を生きている。それは自分自身の意識の様式を見ているのである。見るもの聞くもの触れるもの、それらすべての感覚の、自分の中での意識のされ方を見ているのである。


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