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10、示標。



直線でも、破線でも、折れ線でもなく、ゆるやかに湾曲してゆく曲面として表現される。そしてまた、面の陰影のゆるやかな濃淡として表現されている。柔らかく、おだやかで、優しく、角がなく丸みを帯びていて、そしてふっくらと、中から自然に染みてきて、溶けて、同化してゆく。

そうした、とっても親しい関係。そうやって世界全体を覆い包んで、いざない、導いている。コントラストや色の濃淡、形やすがた、そして見て触れて聞く肉体の感覚、そして気分や雰囲気、それらすべてがそうなのである。

何か目標がハッキリしているというわけでもないのに、なぜが誰もがみな同じ方向を向いてしまう。意志的というよりも本能的、感情的・行動的というよりも情緒的、直線というよりも曲線的。硬(かた)くて鋭いというよりも、柔らかくおだやかな感じ。そして、その中から何かが生まれ出ようとしている。

そうしたことを春の情景とすれば、やはりそれは女性的であるとしか言いようがないのである。そして、まさにそれこそがが、何かが生まれ出る場所であり、舞台なのである。しかし、それもこれもまた、僕が男だからそう感じるのかも知れない。女であれば、もっと他の感じ方が出来るのかも知れない。


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