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9、めざめ。



女性的というのは、春の空気と光の「色」である。うすいミルクのような色である。生きている色。その下で生命が宿る色でもある。それは、気温と湿気と空気のアンサンブルであって、それが世界を優しく暖かく包んでいて、導き、いざなっているのである。

それは内面的というよりも、内面から外面、内から外へ移行してゆく、ちょうどその瞬間である。言い換えると、めざめのときなのである。それは、生命が現れ出る瞬間であり、白いカスミのキャンバスの中から生命が色となって映し出される瞬間なのである。生命が自己にめざめ、そして、自分の外へ現れ出たのである。それは生命の「色」なのである。

新たに誕生した生命が「色」となって、自らを表現しているのである。「色」とは、つまり生命の証(あかし)なのである。それが薄ぼんやりと、そしてやがてクッキリと自らを現してくるのである。

このような緩(ゆる)やかで柔らかい変化、それも全体として途切れることなくつながっていて、変化して行く。何もかも、そしてだれもがみな、世界全体がそうなのである。だから、だれも止めることが出来ない自然のなりゆき、流れといったものなのである。


戻る。              続く。

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