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間接光だけの世界とは、現実というのを、そうした内閉的で変化のあいまいな舞台の上で映し出していて、そしてそれへと誘い、いざなっている。そしてその下で人間が生きていて、見て、感じているのである。 だからやはり、どこか孤独で空想的で、観念的なのである。現実がよく見えず、感じることも少なく、そうした自己の閉じた内閉的な世界を間接光が映し出しているのである。 外からの光、つまり直射する直接光の下ではじめて自分というのが、外の世界に対して理由をもつことが出来るし、また、他人の目から見た客観的な自分というのが見えてくるのである。 だから、直射光の下での昼と夜の区別は必要だし、日なたも日かげも必要だし、四季も必要で、例えば春の次には必ず夏が来るのが現実であって、そうやって人間が時間の流れの中で、なにかに向かって変化してゆく自分を見て、感じることが出来るのである。生と死、前と後ろ、過去と未来、前進と後退のある現実の世界を実感できるのである。 それは私たちの、当然の何気ない日々の暮らしの前提なのである。ちょうど朝、太陽が東から昇って来て、夕に西へと沈んでゆくように。また重力に重さがあって、空間に長さがあるのと同じように。 |
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