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冬の風景を構成する輪郭線や境界線といったもの。色と色、明と暗、カタチとカタチの境目(さかいめ)といったものには、それらの間につながりがなく不連続で、線にも滑(なめ)らかさといったものがなくカサカサしていて、何か止まって固まってしまったような感じなのである。めくれて剥(は)がれて途切れたような、かすれた風景である。 だから風景自体にうるおいがなく、生命が活発に活動している感じがしない。むしろ生命は固く閉じて停止または眠っている感じなのである。そして、まさにこれこそが冬の風景そのものなのである。 夏の風景の少しにじんだ感じというのは、実はうるおいであって水のことなのである。なめらかな柔らかさと潤いで内面と外面が活発な交流を示している。内面というのが、外の世界に対して開いて活発に反応している。 反対に冬の乾いたカサカサした固い印象は、生気を欠いた無機質な、活動が停止してまるで化石化したような、そうした閉じて固まった世界である。内面というのが殻(から)の中にかたく閉じこもった状態である。 自己というのが外の世界に対峙していて、交流を断絶して、ひきこもって様子をうかがっている状態である。外の世界へ出るキッカケとか機会を見いだせず、またそうした必要や場面そのものが現実の世界にないのである。うるおいがない、というのはこのことで、内向的で非行動的、不活発、まるで時間が止まったかのような無機質な世界である。そしてこれが日本の冬の情景なのである。 |
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