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うす暗い、カラッポの虚ろな霧の中。何もないから、なにも見えず、なにかあるはずもなく、あってもならず、だからこそ、見ても、近づいても、気づいてもならない、そうした虚ろで、空ろな、カラッポの、濃い灰色の世界。 そうした、深い霧に閉ざされた世界の中から、かすかなうす明かりに照らされて何かが見えて来る。何もあるはずのないところから、あってはならないところから、何かが映り、移り、写し出されている。 そうした、とりとめのない、様々に移りゆく変化の中で自分を垣間見ている。自分というのは生きていて、様々に変化し続けていて、と同時に様々な側面と見え方、感じ方を持っているのである。そうしたことが自分の中の、未知の深い霧の中から見えてくるのである。 時間の中を様々に変化を繰り返しながら。そしてまた、空間的にもそうである。それを見ている側面や視点によって、無限の意味の広がりと多様性を表現しながら移って行くのである。同じ、同一のものが、まるで別のもの、異質な別世界のもののように見えて来るのである。 空(うつろ)、虚(うつろ)、そして映り、写り、移ろうというのは、このような日本の情緒の世界を表現している。閉じた島国にあって、人間が自分自身を意識する場面といったものが、こうした移りゆく四季という空間の世界で表現され、映し出され、意識されているのである。 それは「四季」という、移りゆく時間の流れの中で無限の変化を繰り返して行く、そうした心の中の情景なのである。空ろで虚ろな世界なのである。そして、まるでそれ自体が生き物のように変化し続けているのである。 同じ、同一のものが様々に、その見え方を無限に変化させながら映しだされ、写り、移って行くのである。まるで自分とは別世界の、映画館のスクリーンの中の世界を見るように。 |