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前回の夏と冬の風景で見たのは、風景が示す情緒的世界の印象であるが、それが意識されることなく私たちと風景を包んでいる。また情緒の印象は、大気の空気そのものの「色」によっても大きく影響されている。普段それと気づくことのない空気の微妙な色の具合そしてそのニオイや感触がそうである。 風のささやきや、肌を包み込む空気の柔らかさ、まぶしさや、風景表面の陰(かげ)の濃淡のなだらかに移り行くさまや、それらすべてが何かを暗示し、示唆し、あるいは祈り、求め、目指し、そしてさ迷い、漂い続けているように感じられてくるのである。それは象徴の世界であり何かの標識なのである。知らず気づかないままでそれへと自分を導いてゆくサインなのである。 普段それと気づくことのない四季の風景の、私たちを包み込んでいる空気の微妙な移り行きが人間の感覚や感受性、情緒や気質に大きく影響しているとともに、それを支配している。そしてそこに生きる人間精神の背景や下地となっているのである。それが人間をしばり続け無言のうちに人間を支配し規制し強制しているのである。 人間はそうやって外の空気を透して世界と接触し、見もし聞きもするからである。もちろん、こうした無言で無意識の強制力は、空気だけでなく重力や自分自身の肉体構造やカタチについても、そのまま同じように言えることなのである。これが現実の物理的空間の世界なのである。つまりそもそもの始めから規定され方向づけられ条件付けられているのである。 |